皆さんの声

佐竹美智子さん(1948年生まれ)

 

気療歴が約20年の佐竹美智子さんは、ご主人の経営する建築会社のお手伝いをしていらっしゃいましたが、腎臓を患い苦労されてきました。ご主人の従妹の方が気療を学んでいらっしゃったことから、気療に巡り合いました。長い年月をかけて気療とともに過ごしてこられました。体の健康状態を測る医学的な数値は完全には改善されていませんが、「気療の力」で健康な人と同じように日常生活を送っていらっしゃいます。

 

Q:気療に巡り合われたきっかけは、何だったのですか?

 

佐竹:主人の従妹が気療塾学院で勉強していたのです。その従妹が、主人の母のひざが悪かったので、母を気療で癒すために家に来ていたのです。それで、その母から「美智子さん気療を受けてみない」といわれて、私も受けるようになったのです。

そのころは、腎臓の機能がとても低下していて、血圧が高かったのです。上が200を少し超していて、下も110ほどありました。それで、しばらくの間、その従妹のヒーリングを受けていて、「これなら私にもできるかな」と思い、気療塾学院に通うようになりました。1999年の5月からです。クラスに出て、そのクラスが終わった後でヒーリングも受けていました。

 

Q:佐竹さんは、腎臓の機能が低下したということですが、どういう状態だったのですか?

 

佐竹:病院に行くと、いつも「人口透析をしましょう」と言われました。それで私は「もう少し待ってください」と答えていました。最初に言われたのは、いま44歳の息子がいますが、その息子が小学校4年生のころです。

 

Q:人工透析をしないというのはすごく大きな決断ですよね。

 

佐竹:はい。でも、私の知り合いの方々が人工透析をしていて、すごくつらいということを話していただいていたのです。人口透析をすると、普通の生活はできないと思いました。息子の世話もありますし、「透析だけはしたくない」と思ったのです。

それに、水分の制限や食事制限がとても厳しいですし。私は、人が生きていく上で食べる楽しみが大事だと思っていましたから。自分らしく生きたいと思っていたので、自分が食べたいものを食べて、好きなことができるということが大事だと思ったのです。

 

Q:ですけれども、大変な決断をされましたね。

 

佐竹:あまりに「透析、透析」と言われて、嫌になったのです(笑)。最初の病院の先生はよかったのです。腎臓専門の先生だったのですが、「腎臓には特効薬はないので、お薬も飲まなくてもいいよ」とおっしゃっていたのです。腎機能が45%になったのですが、その頃から血圧が少しずつ上がり始めていたのです。私はもともと低血圧で、上が90、下が60だったのですが、血圧が上がったのでちょうどいい血圧ですね、というお話しだったのです。

でも、そのドクターがいなくなって、代わりの先生になった頃から、その血圧がどんどん上がっていったので、「人口透析をしましょう」ということになったのですね。それで、結局その病院に行かなくなったのです。

それで、私は一人息子が支えでしたから、この子が一人前になるまでは死ぬことができないという一念で生きてきました。それから何年か経って、息子が結婚式を迎えることができました。結婚式に出るときも従妹からの遠隔気潦を受けてどうにか過ごせたという感じでした。そして、結婚式が終わったので、1999年5月に気療塾学院にお邪魔することにしたのです。

 

Q:気療塾学院に来ていかがでしたか?

 

佐竹:気療塾学院で、エクササイズをしたり、他の人から気療を受けたりしたときは体が軽くなって元気が出たんです。腎臓の数値が良くなるということはなかったのですが、その元気を信じることにしようと思ったのです。それから1年ほどしてから、5月だったと思いますが、神沢先生の気療ハンドと私の腎臓との強烈なエネルギー交流がありまして、30分間ぐらいお互いに痛みを感じていました。

 

Q:いわゆる患部がよくなるための「瞬間硬直・弛緩」が強烈に繰り返されていたのですね。

 

佐竹:はい。そして、30分ほど経った後でようやく神沢先生の気療ハンドが緩んできたのです。それで、エネルギー交流が落ち着いたことがわかりました。

 それから半年後の2001年11月ごろに、大きな好転反応が出たのですが、それが大変でした。仕事をしているときに具合が悪くなり、主人の従妹に遠隔気療をしてもらったのです。30分も遠隔をしてもらっても全然よくならなかったのです。そのことを従妹に伝えたら、もう一度遠隔をしてくれたのです。それでも、2回目の遠隔気療のあとも具合が悪くて歩けないのです。

それで、その従妹が神沢先生に何度も電話してようやく神沢先生がつかまったのです。神沢先生は、「これから遠隔を送ります」という連絡はしてこられなかったのですが、それがわかりました。私は心臓に大きな衝撃を受けたのです。それから、頭は痛いし、呼吸は苦しいし、いろいろな現象で大変だったのです。好転反応で、本当に良くなるときは、それほどつらい思いをすることがあるということを知りました(笑)。

それで3日間我慢できれば大丈夫だと思ったので、我慢しようと思ったのです。主人に「つらい」というと救急車を呼ばれるので、その従妹と神沢先生の遠隔気療を受けながらじっと我慢していたのです。それから1週間後に病院で検査があって、腎臓機能のクレアチニン、尿素窒素(BUN)などの数値が正常値になっていたのです。一時的ですが、腎機能が元に戻ったのです。その後、また腎機能が弱まりました。そして、何年か後にまた数値がまた正常値になったことがあります。数値のほうは、私も神沢先生も、元気になって「あとからよくなってくる」ということを思っていましたので、あまり気にはしていませんでした。自分の体の元気という感覚を信じていればいいと思っていたのです。

 

Q:好転反応も、それほど大変な場合があるということを、いまのお話しを聞いて初めて知りました。お話しを聞いていると、佐竹さんは気療に巡り合って人生が変わったという感じですね。

 

佐竹:人生が変わったというよりも、命が再生したという感じです。気療に巡り合わなかったら、本当に今の私はないと思います。人は誰も一生を健康に生きたいと望んでいらっしゃると思いますが、そういう意味では、気療で人生が変わった方々もたくさんいらっしゃると思います。

 

Q:もちろん、気療を受ける人は百人百様で、その人の年齢や性別、体質症状、病気やケガの期間、余病、健康レベルによって治癒の仕方が違いますし、なかには病気の進行は止まっても、治癒しないという人もいらっしゃる場合もあると聞きます。佐竹さんの場合は、腎機能が低下していたということですから、ご主人をサポートして会社を切り盛りし、生活を営むのは本当に大変だったと思いますが、よくここまで元気になられたと思います。ところで、佐竹さんの場合は、気療のエクササイズをしていると、体が自然に動きますよね。

 

佐竹:体が動くようになったのは割と早かったですね。エクササイズを学びだしてから結構すぐにそうなりました。最初は1人で動いていたのですが、そのうちに人の体の悪いところを感知するようになって、人を巻き込むようになりました(笑)。私は、人よりも「感知判別」の感覚が強いのだと思いますが、クラスの最中に人の悪いところに自然と手を出したりするので、講師の神沢先生には随分と迷惑をかけたと思います(笑)。




塩田譲さん
(1955年生まれ)

 

気療歴8年の塩田譲さんは、車の部品メーカーの営業と生産管理の仕事を長年されてきた後、独立して気功師としてサロンを営んでいらっしゃいましたが、気療の理論に巡り合ってから気療師を目指し、1年数カ月という短期間でその資格を取得されました。その後は、気療師としてお仕事をされています。また平成30年2月には気療塾学院の副院長にも就任されました。

 

Q:気療塾学院で気療師の資格を取られた方々の中には、ご自身の病(やまい)やケガを気療で癒されたことをきっかけにして、気療を学ばれるようになったケースが多いのですが、塩田さんの場合は違っていて、お体は特に悪いところはなかったのですね。

 

塩田:そうですね。私の場合は、どこか体が悪いということはありませんでした。

気療師の資格を取る前は、自分が営んでいるサロンで気功のヒーリングをしていたのですが、そのヒーリングを受けている人が眠くなられたり、あるいは、体がびりびりする感じがしたりすることがよくあるのですね。これは、気功であろうと気療であろうと癒しの過程でよく起こることなのですが、お客様の中には「眠り薬を使っているのではないか」とか「ベッドの下に電気が流れるマットを敷いているのではないか」などといわれる人がいらっしゃいました(笑)。

私にはどうしてそうなるのかということが説明できなかったので、お客様の疑問に答えることができるようになりたいとずっと思っていたところ、神沢瑞至先生の気療塾学院には、なぜそうなるのかという理論があったので、とても興味をもって教室に参加させていただいたのです。そして、気療師の資格を取りました。

 

Q:その後は、気療師としてお仕事をされているそうですね。

 

塩田:はい。気功のほうはやめて気療だけにしました。気功と気療は、私自身も最初はその違いがよくわからなかったのですが、学んでみると、やはり違うのですね。サロンで気功と気療を両立させることもやろうと思えばできたのかもしれませんが、矛盾が出てきたのです。

私が習った気功と気療との大きな違いは、癒しが必要な方に直接手を触れるのか、触れないのかということですね。また、気功では癒しが必要な方のことを頭に描いて想いますが、気療は「あるがまま、感じるがまま」に行うことが大事で、想いは必要ありません。つまり大脳でイメージをして想念を使って相手の方を癒すということなのか、大脳を使わずに脳幹の働きに任せてイメージや想念は必要としないのかという違いがあるのですね。

 

Q:気療や気功のエネルギーといったものには以前からなじみがあったのですか?

 

塩田:私はもともと車の部品メーカーの営業と生産管理を行っていましたので、そういうエネルギーとかで人を癒すことができるということはあまり信じないタイプの人間でした(笑)。ところが、気療塾学院の教室ではエネルギーを受けて体が動き出す方や、体が瞬間収縮硬直する方が結構いらっしゃって、その様子を目にしていますから、誰にでもエネルギーはあると当たり前のように考えるようになりました。教室でいつも目にしていることですが、改めて考えると、人間はすごいなと思います。

 

Q:気療というのはイメージや想念を使わないのですか?

 

塩田:使いません。基本的には、手を「気療ハンド」の形にして、体に触れずに癒しが必要な方とエネルギー交流するだけです。エネルギーの送り手が「気療ハンド」で身体に触れずエネルギー交流すると何かを感じるところがありますので、そこに向けて「気療ハンド」で手振りし、静止することを繰り返すだけです。要は、それだけです。

 

Q:気療というのは手を触れないのですか?

 

塩田:基本的には触れません。触れる必要がないからです。私が気功でヒーリンングを行っていたときは、エネルギーの受け手の方の頭の上や胸の上に手を置いていたのですが、バスタオルを何枚も重ねて敷いているとはいえ、女性の場合、身体に触れられたくないのではと思っていました。気療は、相手の方の身体に触れないで、その方を癒すことができるということに魅力を感じています。

 

Q:これから気療を学ばれる方々に何かアドバイスがありますか?

 

塩田:気療はエクササイズを通じて「気療神経」の「感知判別」と「感覚硬直」の能力を高めていきますが、他の人と比較しないことですね。「感じる」とか「感じない」とかも大きな意味はありません。私自身もエネルギーを感じるようになるまで結構時間がかかりました。「気療神経」の呼び起こしは、私たちが自分自身の意思でコントロールできない脈を診て確認することができます。エクササイズをして、それによって、脈が大きくゆったりと打つようになったら、本人が感じようが感じまいが、「気療神経」はきちんと呼び起こされているということですから。

 

 

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